ロンドン日記

ある日、家の外、狐と出会った

ここ数カ月、今振り返ってみると「はて、本当に忙しかったのだろうか」と思える日が続いた。特に毎日毎日忙殺されていたわけではないのに、カレンダーをふと見るともう年末という状態。つい前までは初秋だったのに⋯⋯。家から滅多に出ないというのは、健康上・精神衛生上あまりよくないことなので、できるだけ散歩に行くように心がけるようになった。そんな2016年11月30日の午後、日が暮れるまでまだまだ十分時間がある時間帯、狐に出くわした。

ロンドンに何頭狐が生息しているのか、確たることはわからないが、最近 Time Out にあった記事、そして2013年に掲載された Guardian 紙の記事によれば、推計で約1万頭。ちなみに都会に棲む狐のことを、英語で urban foxes と呼ぶ。少なくとも付近には数頭いて、夜遅くに帰宅すると、けっこうよく見かける存在。

世の中には世論を二分する物事がたくさんある。身近のところであればお菓子や飲み物の銘柄だったり、もっと重要であれば国民投票にかけられるような事柄だったり、あれかこれかと意見が割れるようなこと。英国では、狐もその一つ。狐は鼠を捕食する益獣と捉える、あるいは単に可愛らしく思えて餌をやる人、または、庭を掘り返し、ゴミを漁り、小動物を殺す害獣であり、駆除されるべきだという人に分かれるだろうか。特に田園地帯で、大勢で馬に乗って猟犬で狐を追って殺す狐狩り fox hunting は、英国を二分した。狐を格別可愛らしいとは思わないし、養鶏業を営む人にとって狐はまさに害獣だろうが、都市部に住んでいる狐に危険を感じたことはないので、うまく共存することが大事だと思っている。

狐は縄張り意識が強いので、これ以上爆発的に都市部で増えるということもないらしい。その一方で、繁殖力が強い動物なので、都市部から駆除するとしたら、かなりの個体を捕殺しなければならないという。たとえ都市部の狐を大量に捕殺したとしても、捕殺を免れた個数の繁殖力と、郊外・田園地帯から都市部の空いたところにすぐに住み着く移住する狐で、すぐに再び一定数に達してしまい、捕殺によって個数を減らすのは現実的ではないと、上記の記事では主張されていた。

さてこの狐だが、どうも様子がおかしい。昼間に見るのも珍しいし、何か哀愁が漂う。動物に当てはまる表現がどうかわからないが、肩を落としてトボトボと歩く姿がどこか痛々しい。後をつけたいという衝動に駆られる悲壮感がある。

並行する歩道を通って角を曲がるといた。どうも後ろ足に問題がありそう。

何か見つけたのだろうか、地面を掘っている。

振り向いてこちらを見る。目が合う。動物と目が合うと、やはりさっと身構えてしまう。狐のような野生動物だとなおさらそうだ。闘争・逃走反応の現れだと思う。

英語の形容詞の foxy には「狡猾な」あるいは「ずる賢い」という意味がある。また foxy lady と女性に使われると「セクシー」か「魅力的」だが、一概に褒め言葉ではなく、直接女性に言えば多くの場合失礼と受け止められる表現で、どちらかというと「妖美」という意味になるだろうか。どこかしら捉えがたいところがある。どこかに危険が潜んでいる、棘があるような感じ。日本でも、狐は頭が良いとされているし、狸とともに化ける動物の代表。そして神聖視されている。益獣・害獣という括りだけではなく、霊獣・神獣にも類する動物で、これは英国と大きく違う。

立ち止まった狐の様子を見たのは、数十秒、長くても1分2分だったはず。前出の記事によれば、都市部に棲む狐の平均寿命は18ヶ月。雄雌の区別もつかないし、やや小さいように見えたので成獣かどうかもわからない。これから寒い日も続くだろううし、熾烈な縄張り争いもあるかもしれず、もし後ろ足に怪我を負っているのであれば、この冬、生き残ることができるだろうか。再びこの狐で出会うことは、ないのかもしれない。