ロンドン日記

胸を突くペリカン

ロンドン中心部・バッキンガム宮殿近くのセント・ジェームズ・パーク。池があって、多くの動物を見ることができる公園。頻繁に人が餌付けをするので、鳥やリスなど動物から人間に近寄ってくる。少しは人間を恐れた方が良いのではないか、野生の勘はどうなったのか、食べ物を強請る光景を見ては変な心配をする。公園に集まる動物のほとんどはロンドンのどこでも見かけるが、ペリカンは珍しい存在。セント・ジェームズ・パークに来るたびに姿を見たい。姿は美しく優雅なのだが、どことなく滑稽に見える一面も。

2023年11月7日の議会開会に合わせてグリーン・パークで発射された祝砲と、国王演説を終えてバッキンガム宮殿に帰るチャールズ3世の馬車をザ・マル沿道で見物したあと、セント・ジェームズ・パークに向かった。今日はどこにいるのだろう⋯⋯ペリカンの姿を探していたら、泳ぎながら池畔に近づいてきた。

人に慣れているので、多くの人が周りに集まって写真を撮ったり動画を撮影しても全く動じない。スターの貫禄を備えている。一羽のペリカンはゆったりと眠そうな暖かそうな格好に。

その頃、もう一羽は柵を嘴で挟んでいた。なぜだろう。鉄分不足ではないだろうし、嘴を研いでいるのだろうか。無知なりに観察しながら考えを巡らせた。よく見ると嘴の先端が赤い。

そして羽繕いというか毛繕いだろうか、私には分からないが、胸を突きはじめた。

中世ヨーロッパの人々は、ペリカンの親鳥は餌がないときは自分の胸を突いて血を流し、その血を雛鳥に与えて育てると信じていた。ペリカンの自己犠牲の姿が、キリストの受難や聖餐引いて聖体と重なった。中世から近世にかけて、組合などの団体を中心に聖体信仰が広まり、胸を突くペリカンがモチーフの一つとして汎く使われるようになった。オックスフォードにもケンブリッジにも Corpus Christi College があり、ともに校章にペリカンの姿がある。他にも一例としてオックスフォード Corpus Christi College の雨樋というか排水管の装飾に、胸を突くペリカンが用いられている。

聖トマス・アクイナスの聖体拝領の賛美歌 Adoro te devote の一節に

Pie Pelicane, Iesu Domine

Me immundum munda tuo Sanguine

Cuius una stilla salvum facere

Totum mundum quit ab omni scelere

とある。調査というか検索不足かもしれないが、カトリック教会による正式な訳は見当たらず

鶴巻保子 「賛美の歌と教会の交響 -グレゴリオ聖歌に基づいた聖歌の思考-」 『鹿児島純心女子短期大学研究紀要』 52(2022) 19〜39

31頁・37頁(注38)に引用されている部分を合わせて口語文調にすると、長くなりすぎて旋律に収まらないが

御血のひとしずくだけで、世のすべての罪を償うことのできる、優しきペリカンなる主イエス

願わくは、汚れたわたしを、御血をもって清めてください

になるだろうか。

人間から注目されているのに飽きたのか、2羽のペリカンはおもむろに立ち上がり去っていった。