16世紀後半と17世紀前半、ヨーロッパで一番重要な国はどこだったかと訊かれたら迷うことなく、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)と答えるだろう。経済・政治・軍事・文化・芸術・科学・思想などほぼ全ての面で、他のヨーロッパの国々を遠く引き離していた。ヨーロッパ近世史、そして世界史的観点からもこれほどまでに重要なのに、あまり認知度が高くないのは、他国の歴史家でオランダ語の文献を読める人が少ないためかもしれない。
その当時、オランダはまだ若い国であって、事実上独立国であっても、他国からはそうと認められていなかった。国際的に独立国として認知されたのは30年戦争が終結した1648年。どの国から独立したのかと言えばスペイン。独立までの道程は長く、スペインに対する戦争が始まったのが1568年。それゆえこの時期を「80年戦争」と呼ぶ。
スペインは15世紀後半と16世紀前半、レコンキスタを完了したし、アメリカ大陸を支配下に置き、世界帝国の様相を帯びていた。また大学が多くあり、宗教や思想などでは先端を歩んでいた。しかし16世紀後半になると、オランダの反乱やイングランドに派遣した「無敵艦隊」の失敗などで国力を消耗して、長い凋落の途についた。
かなり大雑把だが、上記にあるように、ワールド・カップ決勝戦のオランダ対スペインは「因縁の対決」と呼べるかもしれない。
注)
オランダはホラント Holland 州に由来する。近世期、現在のように南北に分かれていたのではなく、ネーデルラント連邦共和国を構成する7州のうちでも突出していた存在のため、「オランダ」が共和国全体を指す意味で使われることが多い。
スペインはカスティーリャやアラゴンと違う歴史を持った国々の集合体。また1580〜1640年はポルトガルも支配して、イベリア半島全域を治めていた。