イエス・キリスト像

イエス・キリストの姿を思い起こしてほしい。大人のイエス・キリストであれば、長くウェーブのかかった髪に、豊かなひげを蓄えている像が浮ぶのではないだろうか。そして大人でなければ、大抵聖母と共にいる幼子。つまり「幼」か「壮」で、青年の雰囲気はない。

「そんなことも知らなかったのか」と言われたらそれまでのことなのだが、2012年に初めて放映されたBBCのテレビ番組 The Dark Ages: An Age of Light の第1回 The Clash of the Gods をインターネットで観ていたら、どうしてこのようなイエス・キリスト像が形成されたのか、説明されていた。

初期キリスト教徒は、イエス・キリストを人間として表現することはあまりなく、図や記号を使っていた。代表例は魚の絵やΑ☧Ωだろう。そのうちに、イエス・キリストが人間として描かれたり彫られたりした。その場合、爽やかな青年のような容姿で、髪は巻き毛でひげはない。これはアポロンに似せたためという。そして時にはかなり中性的、あるいは女性的な表現となっていた。ローマ帝国内の宗教には、ギリシャ・ローマ神話やエジプト神話にあるように女神が多く、信仰の対象となっていたため、性別を超えたイエス・キリスト像が必要だったという説。しかしイエス・キリストは男。女神不在を補うため、聖母が登場するようになった。そして女神のような聖母と幼子という図形は、エジプトのイシスとホルスをもとにしているという。そう言われれば、ホルスを抱いて授乳しているイシスのブロンズ像を、見たことがある。快活な青年イエス・キリスト像から、立派なひげを蓄えたイエス・キリスト像へと変貌した転換点は、コンスタンティヌス1世によってそれまで黙認されていて時には迫害されてきたキリスト教が、国家によって庇護され、つまりは支配する宗教となった時点。この威厳ある顔は、ゼウス(ユピテル)をモデルしているという。

他の説もあるだろうが、中々説得力があった。多くの宗教が共存していたローマ帝国内で、キリスト教が広まっていくことができたのは、このように他の宗教の信奉者が受け入れやすい面があったため、というのは納得できる。