写真と記憶

テレビの刑事ドラマを観ていると、随分前の話なのに、何年何月何日に何をしていたのか、アリバイをすらすらと答える人物が登場することがある。昨日の昼飯に何を食べたのか忘れてしまうような人間からすると奇妙であるし、大抵はその登場人物が犯人である。

ロンドンでも風邪が蔓延していて、肌寒く曇って暗い日が続き、家に籠もりがちだったので、ここ数年分の写真を少し整理してみた。スマートフォンのカメラで写真を撮るようになってから、何気ないことも撮影するようになった。今見ると「なぜこんな写真を⋯⋯?」と思うこともあるが、連想とは面白いもので、いろいろと忘れていたことを次々と思い出した。それでも謎のままの写真も多い。

もし何らかの予定があったならば、メールで記録に残っているはず。写真とメールを照合すれば、大体いつどこで何をしていたか分かるだろう。忘れっぽいのは都合良いもので、このように写真を見て、記憶を塗り替えるというか上書き保存するというか新たに作っている。あんなこともあった、こんなこともあった、多くのことが美化される。もちろん辛いことや苦しいことも甦ることもあるし、忘れてはいけないこともある。でも多くのことを忘れることにより、記憶は常に上書きされ濃縮されているような気がする。人は忘れることと忘れられることを不幸だと思いがちだが、本当の不幸とは忘れることができないこと。これは誰の言葉だったか、どうも思い出せない。

時間があれば、数多ある写真を編集してこのサイトに載せよう。そして文章も添えてみようか。