ベルリンの壁崩壊から30年

この文は書き始めたは良いが、考えが纏まらず舌足らずの下書きのまま放置していた。しかし、このままだといつまでも載せることはないので、不満不完全ながらも記事としてここに掲げる。

【写真】ベルリンでは毎年10月に光の祭典 (Festival of Lights) が催されていて、2019年10月18日はブランデンブルク門に様々な画像や映像が投写されていた。午後7時の開始前から待っていたのだが、雨脚が徐々に強くなっていて体調も万全ではなかったので、開始から15分ほど鑑賞してホテルへ戻った。ベルリンの壁崩壊から30年ということもあり、分断の歴史に関する画像・映像が多かった。

 

先月2019年11月、ベルリンの壁の崩壊から30年を迎えた。当時は10歳だったので、ベルリンの壁の崩壊が何を意味したのか、その重大性を十分に理解できなかった。振り返ってみると世界的に1990年代は悪い時代ではなかったのかもしれない。無論平和であったわけではない。ルワンダ虐殺やユーゴ紛争などで数多くの人が犠牲となった。しかし冷戦終結と2001年の同時多発テロ事件の間、来る新世紀・21世紀は2回の世界大戦と冷戦があった20世紀に比べて希望と進歩に満ちるものになるという期待があった時代ではなかっただろうか。過去を美化しているのかもしれないが。

ベルリンの壁崩壊から10年以上経ってときの2000年代初頭、学生として研究のために公文書館で史料を読むため、初めてベルリンに長期滞在し、合計で1年間この都市に住んでいた。既に街のいたる所で大規模な工事が行われていた。でも2006年に完成するベルリン中央駅は建設途中だった。まだまだ更地だったり老朽化して放置されたり取り壊しを持つ建物が街中に。それに太いパイプが地上に張り巡らされていた。都市の真ん中で東西に分断されていたので、中心部がぽっかりと空いていた。

【写真】木の葉が黄色く染まった秋晴れのベルリン、大ティーアガルテンから見たブランデンブルク門。30年前まではブランデンブルク門の前にベルリンの壁がはだかっていた。2葉の写真を合成した下部に映っているのは道路にある標識。かつてベルリンの壁があったところを示している。

 

写真にもあるように今年10月にベルリンを再訪する機会があった。もはやベルリンの壁が存在した期間よりも崩壊後の時間のほうが長い。保存されている一部を除き、壁は跡形なく消えてしまい、ブランデンブルク門近くでは道にかつて建っていた箇所を示す標識と石が埋まっているのみ。地下鉄ポツダム広場駅近く、昔ベルリンの壁があったところにはショッピング・モールが建っている。冷戦から消費社会への転換を象徴しているようにも。電車や地下鉄に乗って、旧東西ベルリンの境を越えたとしても、何かが劇的に変わるということはない。どの大都市にも地区によって雰囲気や景観や貧富に差がある。もし何も知らず現在のベルリンに降り立ったら、分断の歴史があったとすぐに分かるだろうか。長く壁に分断されてことが異常に思える。しかし人間は異常にすぐに慣れて通常にしてしまう適応性というか柔軟性があるような気がしてならない。

ベルリンの壁崩壊から今年で30年、ドイツ再統一から来年で30年、再統一後のドイツしか知らないドイツ国民も多い。それでも未だに東西分断が。心の中の壁と呼べば良いだろうか。旧東独の住民の中には再統一後、経済的に「取り残された」と感じている人が多い。また政治体制のみならず東独が育み守った文化も全否定されたとも思っている人も。政治的にも左右の極端に位置する政党を支持する有権者が西独に比べ多い。ただ、これらは非民主的な東独体制への回帰や賞賛ではない。失われた時と場への郷愁と現状への不満が重なり合ってのことだと言われている。

ベルリンの壁の歴史から学ぶべき教訓は何だろうか。特に物理的心理的壁を作り分断を図る為政者が後を絶たない今の時代において。