世界各地でトイレットペーパーの買い占めが行われている模様。十分に在庫も生産能力もあるのに。中にはデマに流されて企業やパニックを止めようとする当局を信用しない人もいるのかもしれないが、それでもなぜ多くの人がトイレットペーパーを買い溜めることに必死なのか、非常に不思議。買い占め行為を嘲笑ったり見下すのは簡単なことだが、なぜ人間はこのような行動を集団としてするのか、興味深いし理由を知りたい。本当にトイレットペーパーがなくなることを危惧しているのか、それとも漠然とした不安をトイレットペーパー買い占めという形で和らげようとしているのか。
【写真】男の一人暮らし。3ロールあれば当分の間は大丈夫だろう。
トイレットペーパーは生活に必要なもの。トイレットペーパーなくして用を足すのは嫌だろう。でも食料や必要な医薬品に比べたらどうだろうか。そこまで直接的に生死に関わることだろうか。そんな問いかけに対して「だったらトイレットペーパーなしで生活してみろ」と返されたら無論拒否するが⋯⋯。そのためトイレットペーパーはある意味「安心」の具現なのかもしれない。買い占めたら買い占めたで安心するし、常に補充されるので、どこかで手に入るので最終的に安堵できる。自ら行動していることで不安を打ち消す。嵩張りはするかもしれないが、高い商品ではなく、いつかは必ず使う物。消耗品だが長持ちする。ちょっと多く家にあっても全く問題にならない。
人間生きていくためには、飲み食いをしなければならない。そして飲食すれば、出るものが出る。それだけトイレットペーパーは密着に我々の生活と関わっている。家に十分なストックがあるだけで、一人の人間として対処できないような大きな問題がある世の中、何となく自分の力で環境を整えているような気がする。違うだろうか。
そのうち英国でもトイレットペーパーが一時的に品薄になるかもしれない。