オープン・アクセスの本や論文

先週後半から週末にかけて、花粉のせいか目まぐるしく変わる天気と気圧のせいか、頭痛になってしまい、集中することができなかった。頭痛というのは大袈裟な表現かもしれない。激しい痛みではなく、じんじんと鈍く実に嫌らしかった。何もできないほどの頭痛であれば、薬を飲んでおとなしく臥すが、それほどでもなく中途半端。加えて昨日歯医者にも行く必要もあった。鈍い頭痛と歯医者通いでここ数日は何かをする気力があまりなく、結局ネットを数時間彷徨う日々が続いた。動画を観たりもしたが、ふと思いついてオープン・アクセス (open access) のヨーロッパ近世史の本や論文を探した。オープン・アクセスは無料で閲覧できる書籍や論文で、多くの場合は .pdf もしくは .epub 形式で保存することが可能。

学者による学者を読者と想定した本や論文というのは、総じて一般常識以上の専門知識を必要とし、研究成果を発表する場であり、読み物として面白いということはあまりない。中には何回も読まなければ解読不能なややこしい文章を認め、専門用語が必要な箇所でもないのにわざわざ難解な語彙を散りばめることも。刊行部数は小さく、本一冊一冊の値段、学術誌の購読料は非常に高い。主に大学や研究所などの図書館が買うもの。学術誌を購読せずに、個々の論文を購買することもできるが、目を剥くような値段が付けられている。個人で高価な学術書を買う人は少ないと思う。趣味として大金を支払って学術誌に掲載された論文を読む人など存在するだろうか。

どの業界でも同じだろうが⋯⋯学界にも同業者の評価と世間の評価というか認知度に差がある。歴史学の場合、多くの人が興味を持ち取っ付き易い内容ということもあって、商業出版社が版元になって成功する専門書も数多い。書店で平積みになって、学術的に引用されて学界でも評価される本のこと。商業出版で何万部と刷られる本の社会的認知度は学術誌に掲載される論文より遥かに高い。他にはテレビに出演する歴史学者も。メディアでの露出度が高い歴史家への妬み僻みもある。

学術論文を書く学者は大抵大学や研究機関に所属していて、執筆業中心で生計を立てているということは稀。作家になると本を出して印税が講演などと共に主な収入源となるが、学者の著作物は主に同業者に評価されて研究の発展に寄与することを目的としている。オープン・アクセスの場合、印税収入があるどころか逆に出版に関わる費用を負担し、著作物をクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで共有する。版元や学術誌によって差があるが、本であれば1冊1万米ドルを超えることが多く、学術誌に掲載する論文は1本につき数千米ドルかかる。金を出せば誰でも突飛な内容の本を出せる自費出版と違い、学術出版なので、もちろん掲載される前に他の学者によって査読されるし、専門知識を有する編集者がいる。自己負担ではなく、研究機関や公的機関の支援を受けることが多い。歴史学のような文系ではあまりないだろうが、直接的間接的に民間企業が支援することもある。無論利益相反が存在する場合は明らかにしなければならない。

100を超えるオープン・アクセスの本や論文をダウンロードした。ただそれだけで、読みはじめたわけでもないのに、何を達成したような気分になった。専門書を書店で買ったり図書館で借りただけなのに、少し賢くなったような錯覚に陥るのと同じだろうか。