万能型3番手

もうかなり前、恐らく10年以上前にあった会話の内容の一部をなぜだかふと思い出した。記憶とは面白いもの。経済学を学んだ友人とその知人とカフェで話していたと記憶しているが、いつどこではちょっとあやふや。この「友人の知人」というのが行動経済学や経営学の専門家で、色々と話題になったのだが、今思い出したのが貢献度・重要性と評価・知名度が最も乖離して、注目もされず正当に評価されないことが多い人材は「万能型3番手」だということ。つまり何事においてもその集団で3番目に秀でているが、1番や2番ではない人。

能力や特性を5つに分けてレーダーチャートを作れば、綺麗な五角形になるが、いずれも突出していない。そして3番手というのが肝。もし一つの分野で1番で残りで3番だったら、なんでもできる万能型と高く評価されるし、もし全てにおいて2番手だったら、頼れるスーパーサブのような存在。でも3番手になると⋯⋯。

万能型3番手は、何事も卒なく手堅くこなせる便利屋扱いされたり、補欠の補欠という立場になったり、他人が嫌がる仕事を押し付けられたりする。要領がよくて器用だから一つの分野での能力を更に伸ばせと無理強いされたりもする。でも実際には俯瞰的横断的に物事を捉えることができる。見えないまたは見えにくいところで束ねる力がある。基礎にもなれば緩衝材にもなる。欠かせないというか、いると集団としてのまとまりができやすい重要な人材。

優秀な職場であれば万能型3番手は上司にも同僚にもきちんと評価されるが、対外的には

「なぜこの人が⋯⋯?」

と思われてしまうことも。

スポーツにおける先発ではなくベンチのユーティリティー・プレイヤーやオール・ラウンダーのようだと思ったが、経営学にスポーツの喩えを持ち込むのはあまりよくないとも言われた。スポーツというのは勝敗や人数やポジションなどルールが決まっていて明確なので、状況に一番合った選手を起用するのが当たり前。でも企業やグループに必ず何人でなければならないという縛りはなく、様々な業務や役割があって複雑で流動的で、90分経ったら終わりということではなく長期間継続する力が必要。条件や環境が全く違う。スポーツからチームワークや判断力や思考方法など学ぶことは多く応用できることもあるだろうが、喩えは避けるべきとのこと。スポーツ比喩が大好きな経営者や上司には気をつけろということ。

万能型3番手は良い職場や集団に恵まれれば幸運だが、そうでなければいなくなってから初めて正当に功績が評価される運命にあるらしい。鈍感な集団だと、万能型3番手が去った後に何か悪くなったと漠然と感じて、全く気付かないことすらある。