『紅白歌合戦』という時代錯誤

私が年末年始を日本で過ごしたの何年前のことだろうか。かなり昔の事。もし日本にいたらNHK『紅白歌合戦』を観るだろうか。惰性で。あるいは形ばかりの年末の儀式の一つとして。

21世紀の4分の1が過ぎようとしている多様化した社会を受け入れる時代に、公共放送が歌い手を性別で紅組・白組に分けるというのは時代錯誤のような気がしてならない。紅組・白組の枠を超えた特別枠も存在するそうだが、それは男女という枠に入らないもしくは入りたくない人たちを特別視ひいては異質視しているのではないかと思ってしまう。私は男性つまり強者あるいは特権階級の側にいるので、ジェンダー問題にあまり関心がないし興味を持っていない。人間は自分が当たり前に恩恵を受けていることについて大抵鈍感なもの。そんな鈍感な人間の目にも奇異に映る。でも男女で分けなくなったとしたら、どの基準で紅白に分けるのかという問題に直面する。

歌合戦というが、昔のような紅組・白組の対抗意識は感じられないし、同じ紅組・白組の中でのライバル心もあまりないように見える。捏造された記憶かもしれないが、私が子供だった頃の『紅白歌合戦』の出場者は、真剣勝負というか本当に「勝つぞ」という気概があって、勝敗結果も重要だったような気がする。対抗意識どころか敵愾心みたいなものが、チーム間そしてときにはチーム内で表立っていた昭和のプロ野球に通じることがあったと言えようか。昔が良かったとは言わない。皆で仲良く気持ちよく歌っている方が、私は観ていて楽しい。しかし形ばかりの勝負名ばかりの合戦になっていて形骸化している。

私のイメージとして『紅白歌合戦』は、テレビが一家に一台あって家族全員で一緒に観るという20世紀の世界が湧く。それぞれ自分の好きな歌手の登場を楽しみに、興味ないあるいはつまらないと思う歌も我慢して観るような番組。テレビという媒体とテレビ局という組織がお茶の間と身近の娯楽のほぼ絶対的王者として君臨していた時代には視聴者を囲い込めたが、今は娯楽の選択肢が増えてテレビの求心力が低下している。特に個々の好みが分かれて、多様化細分化した音楽はストリーミング・サービスやSNSなどテレビ以外の手軽な情報源が増えたので、老若男女万人受けして全員をずっと惹きつける長時間歌番組は無謀な企みのように思う。『紅白歌合戦』だけ観れば誰が売れているか分かるわでけでもない。前世紀の遺物。それでも続いていて、それなりの視聴率があるが、いつまで保てるだろうか。

完全に浦島太郎状態なので、出場者は「誰も分からないだろう」と思って一覧をさっと見たところ、演歌歌手数名は知っている。そして南こうせつ『神田川』とイルカ『なごり雪』は、かなり昔の『紅白歌合戦』で観た覚えが。どうやら1992年のことだったらしい。