崩壊はあっけない

これほど早くそして速く今の形のフジテレビの終焉が近づくとは思っていなかった。現体制で再生できる見込みはゼロに等しい。現時点で離れてしまったCM出稿者の信頼を取り戻す道筋が全く見えないからだ。多くの大手企業がCMを差し止めて公益社団法人ACジャパンの公共広告ばかりになると、CM出稿を続行する企業は悪目立ちして

「なぜフジテレビでCMを流しているのか」

と顧客からの苦情が来そうだ。商習慣として今回の場合は出稿者の意向による差し替えなので、出稿料は支払われつづけると理解しているが、差し替えの理由は外でもないフジテレビの不祥事にあるのでどうなるだろうか。私の考えで重大な企業統治の欠陥は明らかに「不祥事」に相当する。今後CMの継続や新規契約は減るだろう。

なぜフジテレビでの広告出稿を停止したのか、そしてどうすれば再開するのか、メディアの取材に対して「総合的に判断して⋯⋯」というやや有耶無耶な回答をしている企業もあるようだが、一例としてキリンホールディングス株式会社は非常に明快な見解を info.kirinholdings.com/faq_detail.html?id=122788 にて示した。

キリングループは企業の社会的責任として、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」に則り企業活動を行い、全てのビジネスパートナーに対して当社の人権方針の理解と順守を求めています。今回のフジテレビ社に関わる一連の報道についても、同社に広告を出稿する企業として、同社の対応を注視してきました。

今回、同社(フジテレビ社)の記者会見における説明等を踏まえ、必要な調査が十分に行われ、事実が明らかにされた上で、適切な対応がなされるまで同社に対する広告出稿を停止します。

これまでの対応を見ると、フジテレビは『ビジネスと人権に関する指導原則』の人権を尊重する企業の責任・運営上の原則(16:方針によるコミットメント;17〜21:人権デュー・ディリジェンス;22:是正;23〜24:状況の問題)に不備があると断じられても仕方がないだろう。世界の多くの国や地域で事業を展開している企業なら、自社サプライ・チェーンで人権が尊重されることはもちろん、取引先に同様を求めることはごく自然なこと。キリングループが広告出稿を再開するには「適切な対応」がなされる必要がある。その前提条件は「事実を明らか」にするで、そのためには「必要な調査が十分に行われ」なければならない。どうしても時間がかかるし、どう考えてもフジテレビは資金繰りが難しくなるだろう。

それもこれもフジテレビの対応が悪かったためで、2025年1月17日の社長会見が疑惑を一層深めてしまった。会見は流れを変える機会だった。そして実際に変えた。悪い方向に。報道機関がどうしたらあれほど稚拙な対応ができるのか、本当に不思議でならない。報道する側として失敗例は数々見てきたはずなのに⋯⋯。

会見は姑息だった。多くの媒体を締め出す閉鎖性、映像が様々な端末でいつでもどこでも視聴できる時代に会見の冒頭のみ静止画の撮影を許可する時代錯誤、インターネットで毎分毎秒ニュースが更新される時代に内容の報道は会見終了後にするという規制、いずれも逆効果だった。そして金曜日の午後、それも阪神・淡路大震災から30年という日に記者会見を開いたのは、平日のニュースとしての扱いをできるだけ短くさせようという浅知恵だったのではないか。これで思い出すのが、米国同時多発テロ事件の2001年9月11日に当時の英国の運輸・地方自治・地域省の特別補佐官が

「今日はかき消したいニュースを発表するにはとても良い日になった」

Today is now a very good day to get out anything we want to bury.

というメールを省内に送ったことが流出して、大問題になったこと。この表現は a good day to bury bad news と短くなって、不都合なニュースを大きなニュースの影に隠すことを指す意味で使われる。時間が限られるテレビ・ニュースや紙面が限られる新聞などが中心だった時代には、長尺のトップ・ニュースや一面トップ記事を回避することができて、一定の効果があったかもしれないが、インターネットの時代には通用しない手法。週末中にCM差し替えの判断を迅速に下した企業の危機管理能力と対比するといかにお粗末か際立つ。

英語に次のような表現がある。

The cover-up is worse than the crime.

The cover-up makes the crime worse.

隠蔽は罪より悪い、隠蔽は罪をより重くする、というニュアンス。もちろん「露見した場合は」という但し書きが付く。隠蔽が成功すれば元々の罪も明るみに出ない。もしこれまで隠蔽が成功していたら、隠蔽体質が染み込んでいる可能性がある。何かを隠蔽すると嘘をつかないといけなくなる。嘘の整合性を保つために更に嘘をつく。しかし一度露見すれば矛盾が生じるようになって嘘は綻ぶ。そして信用されなくなる。本当に知らなくても

「知らないふりをしているんだろう」

「何か隠しているんだろう」

と疑われる。一度不信感を抱かれたら、不信感を払拭するのは非常に難しい。これは一般論。

フジテレビが悪意で隠蔽をしていたかは断定できない。しかしそう思われても仕方がないような会見になった。映像がないので、以下に引用する発言はNHKの『【記者会見詳細】フジテレビ社長 記者とのやり取りQ&A』という記事 (www3.nhk.or.jp/news/html/20250117/k10014695441000.html) を出典とする。恐らく映像よりも文字で書き起こされた方が印象がより悪くなっているので、撮影を拒否したのは愚策だったと思う。全部読んだのだが、何を言っているのか、何を言いたいのか、よく分からない箇所が多かった。そして調査委員会に委ねるという答えが多かったが、面倒な質問には答えたくない、はぐらかしのようにも感じた。

冒頭の説明で港浩一社長は

まず弊社は発端となった事案について直後に認識しておりました。2023年6月初旬となります。

と述べた。また被害者女性への対応について

報告は私(港)まで上がってきておりましたので、対応に関する判断は私の責任となります。

と自らの立場を明らかにした。これで社内の誰かが上層部に伝えていなかったということはなくなった。会社として「事案」について認識していて、社長として対応に当たっていた。組織としても組織のトップとしてもこの事を知っていた。対応も不作為も会社としての社長としての判断であり、個々の問題という範疇を超えている。ただ「事案」が具体的に何を指すのかやや不透明。未だに www.fujitv.co.jp/company/index.html にて

会(食事会)の存在自体も認識しておらず(中略)。

という見解が掲載されている。2023年6月に認識した「事案」に食事会は含まれていないのか。もしそうだとしたら「発端となった事案」とは一体何だったのか。質疑応答でも港は何回も社員の関与を否定している。

Q.被害者女性と中居(正広)さんとの間で何らかの会食が行われたというのは事実でしょうか。

A.少なくともうちは関与していないということなので、うちが答える立場にないと思う。

Q.今回の会食、二人の場において全く関与していないという立場か。

A.はい。

問題が起きた食事会の社員の関与は明確に否定したものの、他の場面での関与の可能性については言葉を濁した。

Q.職員の関与を否定している会合について。会合があって問題がおきた当日は職員の関与がないということかもしれないが、女性と中居さんを引き合わせた前段で、何か接待をうながすような関与がなかったのか。

A.当該の会については関与を明確に否定します。それ以外に関してどういういきさつだったかは、我々もまだ分かりませんので、その辺の調査が必要であれば調査していくというふうには思っています。ただ全部が一連の流れになっておりますので、まるまる調査委員会にはかって、調査をお願いする立場になるので、今、小出しにすることは避けさせていただければと思います。

フジテレビの公式見解は被害者の主張を否定している。もし明確に社員の関与を否定するのであれば、そこは一貫性があるはずだが、調査委員会を口実にして明言を避けて、何やら堂々巡りのようなやり取りも記録されている。

Q.現段階でフジテレビとしては関係がない、幹部の関与はなかったということは、被害者とされる方が言っていることとぶつかる。被害女性と言われる方の言っていることは嘘を言っているという認識か。

A.すべて、調査委員会に委ねられる事案だと思います。

Q.ホームページで発表した以上はある程度そういうスタンスなんだと思うが。

A.年末に出した声明は、あくまでも最初に報道があったトラブルがあった食事会がうちの関係者が仕切って途中でドタキャンしたという話があったので、そういう事実はないとお伝えしたということです。

Q.いま現在もそのスタンスは変わらないということか。

A.そのことも含めても会社の対応に問題があったかどうかということは調査委員会が調べていくことだと思います。いま申し上げたとおりのことではある。

食事会の社員の関与を否定することに躍起になっているようにも見えるが、非常に重大な問題であるフジテレビの企業として人権意識の低さは、被害者が相談して企業とそのトップが事案を認識した以降の行動に表れている。被害者と中居の間に何があったかは分からないが、深刻な問題であったことは明らか。被害者の人権が侵害されたと想定できる。そして被害者がフジテレビに相談したということは、被害者の認識ではフジテレビが安全配慮義務を負う環境の中で発生した問題だと捉えていたのだろう。

当時の判断として、事案を公にせず、他者に知られずに仕事に復帰したいとの女性の意思を尊重し、心身の回復とプライバシーの保護を最優先に対応してまいりました。この件は会社としては極めて秘匿性の高い事案として判断していました。

先ほど申し上げましたように、女性の心身のケアを最優先につとめておりました。それゆえ、会社として中居氏への正式な聞き取りを含めた調査に着手することは、より多くの人間がこの件を知る状況をうむため、女性のプライバシーが守られなかったり、女性の意思が十分尊重されないのではないかという点で大きな懸念がありました。

完全な詭弁で、個人的に最も嫌悪感を覚えた箇所。被害者の意思を尊重するのは良い。でも中居を調査しなかった理由に、被害者のプライバシーを挙げるのは暴論。まるでプライバシーを守って調査できないとでも言いたげだ。既出の『ビジネスと人権に関する指導原則』の人権を尊重する企業の責任・運営上の原則の他に、救済へのアクセス・原則29の「苦情への対処が早期になされ、直接救済を可能とするように、企業は、負の影響を受けた個人及び地域社会のために、実効的な事業レベルの苦情処理メカニズムを確立し、またはこれに参加すべきである」に準じていない。会社として被雇用者を守るため、安全配慮義務を果たすため、人権を擁護するため、この時こそ情報漏洩を避けて守秘義務を設けて外部者に任せて中居を調査すべきだっただろう。被害者の心情感情は推し量れないが、加害者である中居がのうのうと自分が働いている会社でこれまでのように振る舞いつづけるのを目の当たりにするのは、耐えがたい苦痛だったのではないか。もし中居の行為が刑法に触れるものであったら、最終的に被害者の意思を尊重しつつも、中居を警察に突き出して会社として社長として被雇用者の被害者を絶対守る用意と固い意思があるというような気概が全く感じられないのはなぜだろうか。中居のことを調査したくなかったというのは本音だったのではないか、事を大きくしたくなかったというのが本音だったのではないか。これを隠蔽と捉える人もいるだろう。この不作為は理解しがたく許しがたい。

国や組織が崩壊するときは実に急であっけないことが多い。後手後手小出し小出しの対応では崩壊の濁流に飲み込まれてしまう。フジテレビはこのまま流されてしまうのだろうか。