北海道言葉

なんでも焚いてしまう

「生まれだけ」北海道石狩市だが、もう長い間英国ロンドンに住んでいて、一人暮らし。日本語で会話をすることもあまりなく、まれに話すことがあれば日本共通語。あえて「共通語」としたのは「標準」という表現を避けたかったため。学術的にどのような意味合いを含むのか調べていないが、ここでの「日本共通語」は日本の違う地域の人同士が意思疎通のために使おうとする日本語であり、一般的に東京・関東地方の言葉。なので生粋の江戸っ子の話す言葉とも違う。

家族の会話では北海道言葉を使うこともあるが、そうでなければこの共通日本語を使う。でも北海道の言葉であると十分に知っているのに、共通語を話していてもついつい出てしまう単語がある。それが「焚く」というもの。風呂と暖房を「焚いて」しまう。風呂を焚くというと、薪を焼べて湯を沸かす五右衛門風呂をイメージする人が多いらしい。湯は沸かすものであり、焚くものではないということか。しかし風呂には追い焚き機能が付いているときもある。追って焚くのであれば、最初も焚いているんだろうと文句や言い訳の一つも言いたくなる。

風呂を焚くはさして変な表現だとは思われないようだが、暖房を「焚く」ことに違和感を覚える方は多いかもしれない。一般的に暖房は「つける」または「入れる」もの。これは寒冷地でないかぎり、暖房はエアコンやヒーターなど電気で稼働するものが主流だからだろう。焚という漢字には木と火があり、イメージとして燃やす光景が浮かぶ。電気は燃やさない、つけるもの。しかし灯油ストーブならば燃やすものであり「焚く」でも良いでのはないだろうか。

今はテレビの画面が大きくなったため、それほどでもなくなったが、私が子供の頃、つまりは30年ほど前、北海道の祖父母の家の居間で大きさで圧倒的な存在感を誇っていたのが灯油ストーブだった。絶対的存在感は失ったかもしれないが、絶対的必要性は変わっていない。暖房の作戦は「ガンガンたこうぜ」一択。もし「とうゆだいじに」を選んだら、またたく間に凍てつく底冷えと隙間風に切り刻まれてしまう。そしてプルーストの小説にあるマドレーヌの香りに似ているかもれない⋯⋯灯油ストーブ独特の匂いを嗅ぐと、子供の頃の北海道の冬を思い出す。

追記1:手袋は「穿く」もの。これもついつい出てしまうかもしれない。

追記2:オンライン辞書などを参照していたら、どうやら野菜や果物が「呆(ぼ)ける」のも北海道言葉らしい。シャキシャキとした歯ごたえがなくなること。呆けるではなかったら、何と言うのかさっと思いつかない。