Put, put

やたらに「インプット・アウトプット」という言葉を使いたがる人がいる。一体何を意味するのか、よく分からない。あやふやで曖昧で、何か「大きい」言葉を使いたい人たちのこと。新しい知識を得たり経験を積むことを指すならば、わざわざ「インプット」という言葉に頼るのではなく、具体的に説明したほうが良いと思う。似たように「アウトプット、アウトプット」と叫ぶよりも、成果を明確に伝えるべきだ。

ドイツ語で put, put は雌鶏の鳴き声の擬音語。日本語に定まった擬音語はないと思うが、雌鶏のコッコッコッコッという鳴き声のことだと思う。雌鶏の場合、インプットが餌ならアウトプットは卵だろう。ウェブ上に単に YouTube 動画を閲覧したり本を読んだことを大層にも「インプット」と称して、誰にも読まれない薄っぺらい感想を「アウトプット」としてブログ記事にする人がいる。内容は薄っぺらいのにアフィリエイト広告は反比例するかのように濃い。雌鶏のアウトプットが卵ではなく糞のようなもの。鶏糞は肥料になるが、デジタルのゴミは全く役に立たない。インプット、アウトプット、プット、プット、雌鶏なのか!

なお英語の put-put も擬音語だが、小さなガソリン・エンジンが発する音を表している。

以上、とある日曜日の午後のアウトプット。