この個人サイトに載せる記事では、言葉の使い方にそこまで注意を払っていないので、誤用悪用誤字脱字が多々あるが、納品する仕事となれば用法にこだわる。この「こだわる」は漢字を用いれば「拘る」で、些事に拘泥するというか、必要以上に気を遣うこと、または小さな事に囚われること。文章を訳しているとほぼ必ず引っかかる箇所があって、一応辞書を引けば「正解」の訳語があってもしっくりとせず、より良い翻訳が思い浮かばないか長考する状況に直面する。でも考えれば考えるほど迷い、結局最初の正解の訳語を使う。そのため「こだわる」は、否定的な意味で使った。恐らく多くの国語辞典で、最初に「こだわり・こだわる」の定義として掲載されているのは否定の用法だと思うが、現在は肯定として捉えられることが多いのではないだろうか。私が生きているうちに主に否定から肯定に変わりつつある単語。
ちなみに最初の一文に「誤用」と書いたが、母語話者は時折言葉を間違えたり勘違いしたり応用することはあっても、基本的に「誤用」はしない。ただし違う意味や肯定と否定が逆転するような用法が混在していて、話し手と聞き手で表現の解釈に差があれば、母語話者の間でも会話が成立しない。お互いに自分の使い方が正しく、相手が誤っていると考える。辞書に載っているのが正しいと主張することもできれば、数で優勢な用法が正しいという考えを持つこともできる。いずれにせよ誤用とされている使い方が主流になれば、それがそのうち辞書にも採用されて正用になる。
もし宣伝文句に
「当店こだわりの⋯⋯」
「原料にこだわった⋯⋯」
などとあれば、自慢の良い商品だということを強調している。もともとの否定的な意味の「不必要な事まで行う」から転じて、より良い物を作るために労力を惜しまず「細かいところまでとことん追求する」ことを指している。英語の似た表現を探すとなれば go above and beyond だろうか。
否定から肯定に完全に逆転したのだろうか。まだまだ曖昧な部分がある。例えば会話で相手が
「⋯⋯にこだわりがあります」
「⋯⋯にこだわりました」
と言った場合、その人は完璧を目指しているという自慢気味の発言をしたのか、それとも枝葉末節に気を取られたと自己卑下をしているだろうか。後者でも自己卑下的呈示の形を取りながら、本当は
「素敵ですね!」
の返答を待っているのではないだろうか。自己卑下のように見せかけて自慢している。英語で humblebrag と言う。結局直接あるいは相手に否定させる形の差はあれど自慢だ。
他人に面向かって言う場合はどうだろう。もし誰かに
「こだわりがありますね」
または
「こだわりますね」
と言ったら、褒めているのだろうか、貶しているのだろうか。関係性や文脈やトーンなど言い方によって、話し手として言わんとするところが違うだろう。
その場にいない第三者について
「あの人はこだわりがある」
または
「あの人は〇〇にこだわる」
と語ったら、どうだろうか。もしその人がいわゆる通の人で、ある分野について造詣が深いのであれば、敬意を払っていて肯定的な意味合いだろうが、そうでなければ否定的な表現の可能性も。
上記の文に「変な」または「ひどく」を付け足し
「変なこだわりがありますね」
「ひどくこだわりますね」
「あの人は変なこだわりがある」
「あの人はひどく〇〇にこだわる」
であれば、大抵は何かに執着しているようで否定的な言い方だろう。もし「こだわること」が「変にまたは必要以上に執着すること」と捉えるのであれば、一種の重複表現になる。しかしこの場合は「こだわること」自体は良いが、度が過ぎることによってようやく否定になっているので重言には当たらない。
続けて「すごい・すごく」だったらどうだろう。
「すごくこだわりますね」
「あの人はすごいこだわりがある」
文脈によるだろうが、そのままであれば、肯定的な場合が多いような。しかし皮肉にもなりうるので、非常に難しい。
もし否定から肯定に完全に逆転したならば、こだわらないという否定は以前の否定の否定つまり肯定から否定になったはずだが、こちらも一筋縄ではなさそう。
「⋯⋯にこだわらない」
「⋯⋯はこだわりがない」
細かいことやつまらないことを気にしない豪放磊落な人という意味で肯定的なのか、それとも自己主張が全くない気弱で何でも良いと周りに流される人間だという否定的用法なのか、文脈がないと判断できない。
この記事を書きすすめるほど、どのような意図で「こだわり」が使われるのか、そしてどんな意味で理解されるのか、分からなくなってきた。会話であれば声量や表情や身振り手振りなど言葉以外の要素でニュアンスを伝えることができるが、文章だとそのような情報がなく前後の文脈から判断するしかない。ただ書き言葉の場合に「拘り」と漢字が用いられていれば、否定的用法の場合が多いだろうか。曖昧さが存在するので、和訳するときはできるだけ使わないようにして、和文を訳すときは何を意味しているのか精読する必要がある。