オリンピックでは多数の競技が同時あるいは次々と行われて、なんとも忙しい。でもその分、スポーツ観戦で覚えるいろいろな感情が濃縮されるような気がする。勝手に感情移入して、嬉しいこともあれば悔しいこともある。テレビ越しに観ているだけで疲れるのだから、選手の達成感や疲労は想像を絶するものがあるだろう。
20年前の長野冬季五輪のときはカーリングの会場となった軽井沢の分村で通訳ボランティアだったし、2012年のロンドン夏季五輪とパラリンピックでは何度も会場に足を運んだので、今回の平昌での冬季オリンピックを観ていると、その時の感動が蘇る。陳腐な言い回しになってしまうが、なんだか生きていることを実感する。それはスポーツで感じるし、様々な形の芸術の鑑賞でも感じる。そして最近歳を取ったのか、涙腺が弱くなってきたような⋯⋯。
そしてもう20年以上前のことになるが⋯⋯ウィンター・スポーツがあまり盛んではない英国なので、五輪またはフィギュア・スケートやアルペン・スキーの世界選手権以外の大会や競技が地上波で放送されることはほとんどなかった。でもウィンター・スポーツも頻繁に放送していた英国のスポーツ専門衛星放送局 Eurosport というのはよく観ていた。コマーシャルは大体ドイツのビール会社だった記憶がある。冬の間はジャンプやノルディック複合や距離やバイアスロンをほぼ毎週末観ていた。その時にすでに活躍していた葛西紀明選手が未だ現役ということは正に驚異のこと。もし前回ソチ五輪で、目頭が熱くなったのがフィギュア・スケートの浅田真央選手のフリーの演技だったならば、鳥肌が立ち思わず両手を突き上げたのは葛西選手の銀メダル。
観る人一人一人それぞれの感動がある。 テレビで観るよりも、実際にその場で同じ空気を吸い同じ時間を共有した方が感動はより深まると思う。だから目立つ空席は残念。五輪やサッカーのW杯では毎回と言ってよいほど空席がテレビに映り問題視されるが、今回の平昌五輪では特に目立つような気がする。
今日観ていた野外競技のバイアスロンや高梨沙羅選手が銅メダルを獲得したジャンプでは、テレビでもいかに風が強く寒そうか伝わったし、開催時間も遅く地元韓国を代表する有力選手がいなかったためか、観客はほとんどいなかった。吹きさらしの仮設スタンドみたいのがあったが、がらがら。もし来場者が見込めないのなら、あれだけ大掛かりな観客スタンドはなくてもよかったのではないかという疑問が湧く。
野外だけではく、屋内のカーリングや高木美帆選手が銀メダルを獲得したスピード・スケート会場でも空席が目立った。不思議に思ったのが、スピード・スケートのリンクに近い席ほど空席があったように見えたこと。競技場全体を映し出されたら分かってしまうだろうが、選手を追うカメラなら前方数列に観客がいれば空席が あれほど目立つこともなかっただろう。後方の席に座っている観客を前に移動させてもよかったのではないかと思った。チケットが高かったから売れなかった席なのか、スポンサー用の席だったのか、分からないが、いずれにせよ、選手にとっても他の観客にしてもテレビの視聴者にしてもよいことではない。
感動という機会の損失が一番もったいない。