英国の UEA (University of East Anglia) 大学に籍を置く気候変動研究チーム CRU (Climatic Research Unit) のメンバーがデータを改竄したとされる疑惑があり、また他の研究所とデータと算定方式を共有することを拒んだとしたと一部報道されている。もし事実であれば、科学者としてあるまじき行為で、非難されて然り。
この研究所が発表したデータの信用性が低下したため、気候変動論争が激しくなってきている。多くの人が気候変動が人為的なニ酸化炭素排出が主な理由であるとする説に懐疑的。そのため、地球温暖化を避けるのに必要とされる二酸化炭素排出量削減政策に反対している。そして、人為的気候変動を否定する人々の多くは、地球温暖化は何者かによる政治的陰謀と思っている。
まず気候変動が100%人為的であることを証明することはできない。しかし証明できないから完全に間違っているというのもおかしい。問題となるのはどのくらいの確率で気候変動が人為的理由に起因するか。でも多くの人は「信者」である。人為的気候変動完全肯定信者、そして人為的気候変動完全否定信者。両者の立場は絶対であり、どのようなデータや根拠を示しても見解を変えるのは難しい。
私は科学者ではなく、いろいろ読んだ結果人為的気候変動肯定信者となったが、人為的ではない可能性もあることを承知している立場。そして何もしないリスクはあまりにも高すぎると思っている。例は悪いが、これは医者に「x%の確率で死に至る病気を抱えているが、治療にはy円かかる」と言われて、どれくらいの確率であれば、どれだけ金銭を払うかという判断に似ている。20%で10万円で受ける人もいれば、10%で100万円でも受ける人もいるだろう。一方80%で1万円でも治療を受けずに20%に賭ける人もいるだろう。
人為的気候変動肯定者の場合、この確率は高く見積もられている。ただどの時点で線を引くべきだろうか。50%、それとも30%、あるいはそれ以下でも、対策を取るべきかどうか、意見がわかれるだろう。個人的には8〜9割で人為的要素があると思っているが、10%でも対策を練るべきだとも思っている。回避しえる危険は回避すべきという考え方による。そしてニ酸化炭素排出による人為的気候変動ではなくても、化石燃料依存からの脱却は、限られている埋蔵量の減少もあり、また一部資源地域や国家の束縛からの開放をも意味し、必要なこと。
もし気候変動対策が取られなかったら、どのような結果になるかも議論されている。一部ではまるで一気に人類が滅亡するような話もあるが、それよりもありうるのは水の窮乏と耕作可能面積の減少による食糧難。
さて実際はどうなのか、これからも議論されるだろうし、議論は必要だが、行動も不可欠。ニ酸化炭素排出削減は人の生活を逼迫したり自由を奪う形ではなく、技術の進歩によって達成できれば良いのだが。