先日失脚した張成沢氏が処刑された。公の場から連行され、形ばかりの「裁判」にかけられ、有罪の判決が下された直後に死刑執行に至るという、激動の数日だった。スターリンの恐怖政治を彷彿させ、いとも簡単にそして素早く政権中枢にいた人が、政治生命のみならず命をも落とす劇場型政治。もし、そうであるならば、劇場の観客、つまり締め付けの対象は誰だろうか。やはり北朝鮮国内の人々だろう。
この張成沢氏の失脚と処刑が何を意味するのか、北朝鮮の内情は不透明であることを思えば、いろいろと分析できるが、憶測の域を超えることはできないだろうか。例えば、金正恩氏が自身の意思で体制を確立するために粛清を断行して成功した、それとも体制内の軋轢で指導部が割れて、金正恩氏がどちらかの主張を受け入れる必要があり、張成沢氏を処刑せざるをえなかったという求心力の低下が露呈した、違う見方があるだろうし、違う見方ができる。そして、今回の処刑が北朝鮮の軍事と外交の方針にどのような影響を与えるのか、隣国諸国は更なる注意を払い、情報を収集する必要がありそうだ。
いずれにせよ、不可解で不気味な国である。