胡錦濤国家主席が、サミットに参加せず、急遽帰国したのは、新疆ウイグル自治区での暴動が相当深刻であることを窺わせる。対応を誤れば、ウイグル族のみならず、漢民族も体制に従わなくなるかもしれないので、とにかく事態の沈静化を図ろうとしているのだろう。
暴徒化して民族間の対立が深まると、中国の国家体制をも揺るがしかねず、中国政府は対応に苦慮するだろう。そして「国外の分裂分子・テロリストが引き起こした暴動」だけでは説明ができなくなる。
天安門事件が「六四事件」という名前で知られるのと同様に、暴動の発生日7月5日をもって「七五事件」あるいは「七五新疆事件」と呼ぶらしい。「六四事件」は弾圧に終わり、民主化の芽は摘まれたが、この「七五事件」はどのような形で終わるのか、民族間対立という根深い理由もあり、不透明なところがある。