イスラエルの諜報機関は過大評価されることが多い。畏怖、嫌厭、憎悪、人々の立場によって見方も変わる。
現在、中東レバノンで、イスラエルのスパイが次々と摘発されていると言う。社会的に地位の高い人や階位の高い軍人にも嫌疑がかかっている。真相は闇の中だが、本当であれば、このように芋づる式にスパイが捕まることはないはず。スパイは孤独な存在で、一人が捕まっても、他のスパイが捕まることがないように組織され訓練されている。諜報機関としても、情報源を複数別々に持ち、一人のスパイに依存することもない。縦割りの世界で、横の繋がりは通常ない。諜報機関の中心で、全体像を把握しているような大物は安全な場所を離れない。
新技術によって次々と捕まえたらしいが、中東の中でおそらく最も人と物が自由に往来し、幾多もの宗教宗派が共存しているレバノンは、イスラエルのみならず、シリアやイランの諜報機関が行動しているのではないかと推測する。このため、スパイは溶け込み易く、レバノンは各国の諜報機関が鬩ぎあう場となっているようだ。
イスラエルにとって、大きな政治勢力で目の上の瘤のヒズボラ関連の情報が少なくなることは、打撃に違いない。これが中東の戦争の危険を減らすものか増すものか、分からず少々不安だ。信頼できる情報がないと、敵の軍事力を過小評価して「勝てる」と思い、戦争を始めることもあれば、過大評価して「取り除くなら今」と開戦を決断するかもしれない。