ビン=ラーディン容疑者の死

2011年5月2日

米軍の特殊部隊による作戦でパキスタンに潜伏中だったビン=ラーディン容疑者が射殺された。2001年の同時多発テロから10年に近づく時期、長い「戦争」の節目となりそうだ。

アル=カーイダという組織の中、そしてテロ計画などの役割の面において、ビン=ラーディン容疑者は、どこまでが実像であり、どこからかが虚像だったのか、分からないところがある。無論ビン=ラーディン容疑者がこの組織の中心的人物でテロ計画に関与していたことは間違いないが、彼が全てを企み、彼即ちアル=カーイダ、つまり彼一人の死によってアル=カーイダが早々に無くなるということはなさそう。なにせアル=カーイダはピラミッド式の組織というよりは、独立した部門がそれぞれテロ計画を企て実行した面があるから。彼の死によって、代わる人物がいるのか、それとも組織が弱体化し、ついには瓦解あるいは分裂する可能性があるのか不透明。どれだけの影響があるか、今後徐々に分かるだろうが、ビン=ラーディン容疑者の死はアル=カーイダにとっては打撃のはず。ただ、致命傷となるかは上記の点もふまえ甚だ疑問。

これから作戦について仔細が明らかになるだろうが、国際法上の問題を考えれば、以下のように表向きは説明されるはず。まずこの作戦はパキスタンの了承と協力を得て行われたことになるだろう。そうでなければ、主権侵害などの面で拗れる。そしてビン=ラーディン容疑者は武力で抵抗したため、仕方なく射殺されたとなるだろう。最初から殺す目的で国家が個人を狙ったとすれば問題が残る。また、表現は悪いが、彼の死は米国にとってもアル=カーイダにとっても都合が良かったのではないか。もし生きたまま身柄を拘束したとしたら、どのように対処すべきか、米国は頭を痛めただろう。裁判といってもどこで誰が裁くのかで揉めるのは明らか。そして、アル=カーイダにとっても、最高指導者が生きたまま捕われるのは、都合が悪い。最期まで抵抗した殉教者というほうがプロパガンダとしては有効。

最近、アル=カーイダの勢力は衰えていると分析する専門家も多く、これで大規模テロを計画し実行する力はなくなるという見方もあるだろう。もし、アル=カーイダが長期的に弱くなるとすれば、現在中東と北アフリカで起きている民主化運動のほうが重要ではないかとも考えられる。米国寄りあるいは非イスラム世俗軍事独裁政権下で溜った不満がアル=カーイダという捌け口を見つけたという分析もあるから。これから数年はアル=カーイダという組織を決定的に弱める絶好の機会かもしれない。もちろん、パレスチナ問題など多くの人々が不満に感じる難題が残るが、それでも今後不満をできるだけ解消し、原理主義に走る人を少なくし、アル=カーイダの存在意義をなくすことに政治と外交で努めることが必要。テロに対する戦争は、武力のみでの勝利はない。このことはこの10年を顧みれば明白。