政治と言葉 | 「関東大震災はチャンス」

2008年11月11日 | 最終更新:2008年11月14日

政治家にとって言葉とは諸刃の剣だろう。自分の信条を説明し支持を集めるのが言葉なら、不適切な発言で職を失うのも言葉。さて井戸敏三兵庫県知事が、近畿ブロック知事会議で、以下のように発言したと報道されている。

関東で震災が起きれば(東京が)相当なダメージを受ける。これはチャンス。チャンスを生かさなければならない。(読売新聞)

関東大震災なんかが起これば(首都圏は)相当ダメージを受ける。これはチャンス。(朝日新聞)

首都圏が被災した時に、関西は第2の首都機能を引き受ける準備をするべき。(読売新聞)

首都機能を関西が引き受けられる準備をしておかないといけない。(朝日新聞)

二番目の関西が不慮の事態に首都機能を果たす準備をすべきというのは理解できるが、一番目の発言はどうみても不適切で、両方合わせるとかなりひどい話。なにせ震災で東京が首都機能を果たせなくなるほどの人的物理的ダメージを受けることが関西の機会だと言っているからだ。まさか井戸知事は震災が起こることを期待しているわけではないだろうが、そのように受け止められるような発言をするのは、どう考えてもいただけない。井戸知事が大震災を待望するかは別としても、この「関東震災=東京に相当なダメージ=関西のチャンス」が「そうとも読める発言」あるいは「そうとしか思えない発言」になるかでは差がある。問題の文章を数回読んでみたが、どうも「そうとしか」受け止められないので、辞するほどの失言といってもよいだろう。

また失言ではないと主張すればするほど、大抵言い訳に聞こえ、さらに墓穴を掘ることになる。謝罪と撤回を速やかに行えるかは、いかに言葉を重要にしているか、また政治家としての素質を備えているか、両方の試金石。

加筆:2008年11月13日

井戸知事は発言を撤回し謝罪したが、「誤解力」を楯に使うなどどうも歯切れが悪い。もう蒸し返さず非を認めれば事態は鎮静するが、弁明に努めようとすると、更に「誤解」が生ずるだろう。言葉を誤用することは人間誰もが犯す間違いであり、よほどのことがないかぎり許されること。失言が失言でないと自分を正当化し、あたかも他人に読解力が無いがために、己が意図するところが伝わっていないと非難するのは、政治家として特に見苦しいところがある。

加筆:2008年11月14日

産經新聞と同意することはそう多くないが、2008年11月14日付の産経抄は的を射ていると思う。