Ben Wilson, Decency & Disorder: The Age of Cant, 1789-1837 (London: Faber and Faber, 2008)
ヴィクトリア朝というと大英帝国の絶頂期。産業革命の地であった英国は、急速な発展を遂げた。しかし、同時に結構息の詰まるような場所でもあった。融通があまりきかず、人々は一挙一動そして言動の一つ一つに細心の注意を払い、お互いに監視しあう階級社会の中に住んでいた。
この本の主役はヴィクトリア朝の英国人の親の世代で、ヴィクトリア朝の英国人の行動言動の型の土台を築いた人たちに焦点を当てている。この時期に英国社会が変化して、英国人にも大きな変化があった。なお、英国といっても、イングランド、そして特にロンドンを中心にした話。
18世紀の英国人はおおらかで、何事も包み隠さず、本音で話し合ったという。飲み食いにしろ、婚前交渉にしろ、言葉にしろ、闘鶏や熊いじめにしろ、自由といえば自由、粗雑で猥雑といえば粗雑で猥雑な世の中だったという。そして、階級の垣根もあまり高くなかった。つまりヴィクトリア朝時代の英国人とは正反対。しかしフランス革命戦争・ナポレオン戦争中、そして戦後の大量の復員兵が帰国したことによって、失業者の増加など大きな社会問題を抱えるようになった1810・20・30年代に、ヴィクトリア朝時代の人間へと英国人は変貌を遂げたということになる。英国人は上記のように行動と言動に注意を払うようになり、婚前交渉はもってのほか、闘鶏や熊いじめも姿を消し、奴隷制度も廃止された。
1789〜1837年はこの2つの英国人像が鬩ぎあった時代ともいえる。この変遷の中で重要だったのが cant という単語。相手を罵るときに使う単語で、翻訳するのは難しい。偽善的、道徳家・信心家ぶるという意味合いを持つ。似た単語に hypocrisy があるが、ちょっと違う。Hypocrisy は信じていないのに信ずるふりをすること、あるいは言行不一致を指す。この場合、自分自身偽善と認識していることが多い。Cant は信じている以上に信ずるふりをして、己の行動以上に道徳家ぶりを人と社会に顕示すること。ときには、自分がそう道徳家・信心家ぶっていることを認識していないことがある。ときには、あまり強い信念はないが、社会に合わせるために、信じたふりをしたり、信じたように行動あるいは発言すること。そのため、cant の方がたちが悪いとも考えられた。そして道徳家・信心家ぶっているので、他人にもその行動や言動の規範を押し付けようとする面があったし、社会的圧力となり自由奔放な行動や発言を封ずる手段ともなった。
18世紀末・19世紀初頭、悪習や不道徳行為を矯正したり廃止したり改めさせたりする活動はあったが、賛同者はあまり多くなかった。しかし、貧困者が大きな社会問題とみなされるようになり、またマルサス主義の主張がだんだんと受け入れられるようになった。貧困者は食糧を食いつぶす非生産的な存在とみなされた。さらに、貧困は、悪徳が原因でもあり、悪徳の結果でもあると思われた。 貧困者に対する本当の慈善とは、金や物を与えることではなく、自立させること。それは、ディケンズの小説によく登場する作業施設に貧困者を収容することを意味した。
自由から規則に縛られた社会、本音から建前に変わった社会。その変化に cant を見た人も多かった。しかし、だからと全員が見せかけだけの道徳家・信心家であったわけではないし、中には己に厳しく敬虔なメソジストも多くいた。奴隷制度の廃止は良いことであったし、行き過ぎた粗暴な行動を抑えたことも良いことだっただろう。それでも多くの人々は流れに合わせて追随して、より貧しい者に対して厳しい目線を送るようになったのも事実。ヴィクトリア朝時代の英国は、貧困や道徳意識が高いつもりの社会なのに娼婦の多さなど、矛盾に満ちた社会になった。
どちらかが絶対的に優れているということはなく、英国は時代によってまるで振り子のように自由と規律の間を行き来している。今の英国社会はどちらかというと自由の時代。飲酒が原因の死者数が今後増えるといわれているし、10代女性の妊娠率も最近微減傾向だがヨーロッパでは依然としてずば抜けて高い。不況もあり、今後は規律の時代に向かうのかもしれない。